恵日山 長昌寺 TEL. 0422-53-2738
※お電話かウェブ予約にてお申込みください
◆◇ 第1日曜14時より ◇◆
長昌寺本堂に於いて

恵日山長昌寺は、
お釈迦さまをご本尊さまとする
曹洞宗のお寺です

お釈迦さまが菩提樹の下で坐禅をし、悟りを開かれたことから、曹洞宗では教えの根幹に坐禅を置いています。

-只管打坐-

坐禅は、何か願いを叶えるため、何か特別な力を手に入れるためといった目的を持たず、ただひたすら坐ります。このように坐ることを『只管打坐(しかんたざ)』と呼び、坐禅する姿そのものを『仏の姿=悟り』と捉えます。

-調身・調息・調心-

邪念や欲にとらわれず無になることはとても難しいかもしれませんが、くり返し坐禅(修行)を行います。体を整え(調身)、呼吸を整え(調息)、そして心を整えて(調心)、ただ坐ります。曹洞宗の坐禅は、面壁(めんぺき)と呼ばれる壁の方を向く形で行われます。

坐禅における作法や、坐り方を毎回丁寧に説明いたしますので、坐禅が初めての方でも安心です。またこちらのお寺では、坐蒲(ざふ/坐禅の際に使うクッション状のもの)を使った通常の坐禅の他に、椅子を使った坐禅も可能ですので、足腰が心配な方でもご参加いただけます。

お申込みはこちら

長昌寺 坐禅の会

日程 毎月第1日曜14時より(10分前までに客殿にお入りください)
※初めて参加される方は簡単なアンケートをお願いしておりますので、13時45分頃までにおこしください
場所 東京都小金井市梶野町2-7-5
長昌寺本堂に於いて/受付は客殿にて行います
参加費 無料

※お気持ちで坐蒲購入のための坐禅募金をお願いしております
服装 ・足を組みますので、ジャージ等のしめつけのない服装がよろしいかと思います。
・時計やアクセサリーは外していただきます。(貴重品の管理はご自身でお願いしております)
・坐禅は裸足で行います。ストッキングやタイツではなく、すぐに脱げる靴下着用でご参加いただいた方がよろしいかと思います。
・ベルトなど締付があるものも坐禅の前にはずしていただきます。
・暖房はありますが、冬の期間は本堂が冷えるため、温かい格好でお越しください。
その他 ・椅子を使った坐禅も可能です。
・体のかたい方でも無理なく坐っていただけます。
・初めて参加される方には簡単なアンケートをお願いしております。15分前までにお越しください。
・着替えが出来る部屋がございますが、当日法事が入っている場合はお化粧室でお願いする場合がございます。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
・お車でお越しの方は、お寺の駐車場をご利用ください。
場所 東京都小金井市梶野町2-7-5
長昌寺本堂に於いて/受付は客殿にて行います
参加者の方々の声 

・無心になるのは難しいけれどスッキリします。家でぼーっとすわっている時間とは全く異なる、ただ坐る時間です。

・仕事柄、最新技術や納期に追われ、パソコンを打っている音だけが響いているような環境に身を置いているので、静かな本堂で坐ることによって気持ちがリセットされます。

・何にもとらわれない静かな時間。自分の意志で作ろうとして作る無の時間というのが大切な気がしています。


よくあるご質問

体がかたくて(足が痛くて)坐禅の足が組めないのですが大丈夫ですか?
坐禅には、結跏趺坐(けっかふざ)といい両足を組む方法と、半跏趺坐(はんかふざ)といい片方の足だけを組む方法があります。体のかたい方は片方の足を組むところから無理なく始められます。また、足腰などにお痛みのある場合は、椅子を使った坐禅も可能です。どなたでも無理なく坐っていただけます。
どのくらい坐禅をするのですか?
修行道場では、朝に一炷(いっちゅう…お線香1本分で約45分)、夜に二炷が基本ですが、お寺によっても違います。長昌寺の坐禅の会では、約20分坐禅をした後、足をほぐすために経行(きんひん…ゆっくりと静かに歩行する)を行い、更に20分坐ります。前半と後半で同じ20分ですが、ずいぶんと長さが違うように感じられる方も多いようです。

無になるとはどういうことですか?
坐禅を組んでいる最中には様々な情報が入ってきます。長昌寺のケースで言えば、春にはウグイスが、夏には蝉が鳴いています。風や雨の音が聞こえることもあります。もし、ご自宅で坐禅、となると、美味しそうな香りが漂ってくる場合もあるかもしれません。無になるとは、それらの情報が自分の中に入ってきた場合でも、それはそれとして受け流すということです。自分の感情から離れ、空白になることです。とはいえ、無になって坐る=悟り(仏の姿)ですから、そう簡単に無になることは難しく、繰り返し練習することが必要です。
どういった格好で坐禅をすればよいですか?
足を組むので、ジャージなど生地が伸びる素材がよろしいかと思います。また、時計・ベルト・アクセサリーなどの貴金属類はとっていただくことと、靴下も脱いでいただきます。
坐禅といえば、細長い板のようなもので肩を打たれているイメージがありますが痛いのですか?
細長い板のようなもの=警策(きょうさく)といいます。坐禅をしていて眠くなってしまった時や、姿勢が乱れてきた時、雑念が多い時などに肩を打ってもらいます。修行道場では、警策を持った僧侶が堂内を監督し、打つ場合もありますが、長昌寺の坐禅では、『少し気持ちが乱れているな…眠くなってしまったな…』とご自身で思われた場合に、合掌していただくと警策を受けられます。強い痛みはありません。
坐禅と瞑想は同じなのですか?
坐禅を英訳すると、Zen meditationとなりますが、坐禅と瞑想は厳密にいうと異なります。曹洞宗の坐禅では、ただただ坐り、自我を離れ捨て去り、徹底的に無になることを目指します。そして、その坐っている姿こそ『悟り』であると捉えます。一方、瞑想はそれとは逆で、自我に向き合い客観的に観察します。心を静め、眠っている自身の深層心理に呼びかけます。ひとつ例をあげると、『呼吸』の捉え方などが分かりやすいかと思いますが、瞑想では吸う息と吐く息に注目し、どこまでもどこまでも呼吸の行方を追います。新しい空気を取り入れる際には、臓器の隅々に空気が入ってきていることを意識し、息を吐く際には呼吸の道筋を辿ります。今、自分は呼吸をしているということを感じ、それに集中します。しかし、坐禅は無になることを目的としているので、呼吸は静かにゆっくりと行っていることに変わりはありませんが、その呼吸に注目することはありません。また、坐禅は何かの目的のために行うものではないという点でも少し瞑想とは異なります。
無になるとはどういうことですか?
坐禅を組んでいる最中には様々な情報が入ってきます。長昌寺のケースで言えば、春にはウグイスが、夏には蝉が鳴いています。風や雨の音が聞こえることもあります。もし、ご自宅で坐禅、となると、美味しそうな香りが漂ってくる場合もあるかもしれません。無になるとは、それらの情報が自分の中に入ってきた場合でも、それはそれとして受け流すということです。自分の感情から離れ、空白になることです。とはいえ、無になって坐る=悟り(仏の姿)ですから、そう簡単に無になることは難しく、繰り返し練習することが必要です。
無になるとはどういうことですか?
坐禅を組んでいる最中には様々な情報が入ってきます。長昌寺のケースで言えば、春にはウグイスが、夏には蝉が鳴いています。風や雨の音が聞こえることもあります。もし、ご自宅で坐禅、となると、美味しそうな香りが漂ってくる場合もあるかもしれません。無になるとは、それらの情報が自分の中に入ってきた場合でも、それはそれとして受け流すということです。自分の感情から離れ、空白になることです。とはいえ、無になって坐る=悟り(仏の姿)ですから、そう簡単に無になることは難しく、繰り返し練習することが必要です。

皆様のご参加をお待ちしております